ケガから学んだ『断る勇気』
大概、けがは不意に起こるものですが、これがね、単なる偶然や外的要因だけではなく、自分の内側が引き起こしているかもしれない?というお話なのです
自分の潜在意識が引き起こしていたら?どういう意味なんだろう?
ケガは自分の潜在意識が引き起こしていたかも?
このブログで何度も書いていますが、私は2022年10月に両手のケガをして、未だ治療中です。左手は1ヶ月で治りましたが、肝心の利き手の右手のケガがなかなか治らず、もうすでに7ヶ月が経っております。
なぜ、ケガをしてしまったのだろう?と考えてみますと・・・
- 頑張りすぎだから、「休みなさい」
- 「今の仕事は合わないのでは?」
- 走っていて転んだケガだったので、「急いだら痛い目に遭うよ」
- 「もっと、ゆっくり生きなさい」
- 「自分の体をもっと大事にしなさい」
こんなメッセージがあったのかも???
ケガが自分の気持ちを代弁してくれていた
まーまー色々と思いつくわけですが、
今回、友人の言葉が私の心に”あちゃー”とつき刺さりました。あまりに図星すぎて痛かったけど、友人には「ありがとう」と言う気持ちなのです。
私と同じようにケガをした友人が、ご自分のケガについてこう話していました
(要約済み)
ケガをすると動けなくなるじゃない?
そうすると予定が質然的に全部キャンセルできるでしょ?
断ることが苦手な自分の潜在意識が、ケガを引き起こしたんだと思う
なるほど!
ご自分の潜在意識が「行けない」に仕向けたわけですね
詰め込みすぎてしまった予定を、ケガによってキャンセルしたと言う訳か
なんとまあ、手荒い仕業ではあるが・・・
実際、私がケガした時は、どうだったかな?
(7ヶ月前なので若干忘れている笑。都合が悪いところは忘れやすい汗)
- 仕事を変えたかった
- 雇われたくなかった
- 嫌なお客さんがいた
- やりたいことをやりたかった
- 自由の時間が欲しかった
それと・・・
自分は、引きこもる一人が好きなのに、大して行きたくもないランチの誘いにのってしまい、後で疲れた〜と後悔してしまうことがあるのよね(本音)
約束した後に、やっぱり行きたくないかも?と気がつくけんだけど、断るのが面倒だったり嫌われたくないという気持ちが働き、断れなくて、
結局、断りたくないから、ランチに行く利点を心に上書きして、行きたくない自分を封印したり、行くことを正当化したり、結局は自分を誤魔化していたんだ。
なんて、ことにも気がついたわけです。
図星すぎて、”あ痛たたたたたた”とう感じなのですが、気がついてよかったなと思います。
『嫌われる勇気』ですよ!名著ですね
また、読んだ方が良いかな笑
自分で断ることができず、安請け合いして、いいよ!いいよ!と予定を組んでしまい、実際、自分は引きこもりで家にいたいからそんなにそんなには予定を入れたく無いのに。
そんな自分なのにもかかわらず、本当は自分は行きたいと嘘の自分を上書きして決めつけて、断らない理由を作り上げてしまう。
本当は行きたくないのに、行きたい理由を探して、この人とあったらこんな話ができるこんな良いことがあるよ!とか、予定を断りたくないから行く理由を探してもっともな気持ちをこしらえて、で誘いを受ける。
断りたくないから、行く理由を探してこじつけて行くことにしていた。
本当に、会いたい人って実は少ないんだ
じゃあさ、断るってどうやって言えば良いんだろう?
「行きたくないから行かない」ってストレート過ぎだよね?
「忙しいから」
「体調が悪いから」
嘘を言うのもどうなんだろう?
そんな風にも考えてしまうが・・・
考えすぎでしょうか?笑
さらっと、断れば良いんじゃないの?
それができれば苦労しないのよ〜笑
自分を客観視してみれば良いのかな
逆にね、もし、自分が仮に断られたとしても、
「ふ〜ん、そうなんだ!仕方ないね」で終わるじゃない
それで、終わるなら終わりで良い。
なんなら、お誘いをスルーしても良いかもしれない。
スルーされたら、それを追わなくても良いかもしれない。
こうやって、嫌われる勇気を持って行動できないと、
また、ケガや病気とか痛い方法で、
予定や自分がやっていることをリセットする羽目になっちゃうよ!
それで良いのか?
もっと、痛い目に遭わないとわからないの?
と、神様から言われた気がします。
肉体は痛めたくないので、自分の心に正直に行動します(誓い)
同じような方がいたら、一緒に頑張りましょうね〜笑
自分に正直に生きましょう〜