【映画鑑賞記録】『怪物』
どこまでも掘り下げられる映画
奥の深い深い映画だったなというのが最初の感想です。
人の視点って案外あてににならないな・・・
人それぞれ違うもの
そして人は事実と違ったことを案外平気でいうものだ。
(真実という名の正義か?)
それが、故意的なのか故意的でないけど、結果的に事実と違うことだったこともある。
そのさりげない事実と違った主張が人の一生を左右することもある。
とにかくね、この映画、奥が深く深いのですよ。
人から見えるものは、ほん一部
人から見えるものは、表面的なもので裏から見たらどうなっているか?何かで事実が覆われているかもしれないし、半分隠れているかもしれないし、もしかしたら自分の目ですらそのモノ通りに見えてないかもしれない。だけど、自分のことは自分が一番信じているから、それを事実だと疑うこともせず主張するもんだ。本当は違うかもしれないのに、自分は正しいと思うから違うのでは?と疑問すら持つことがない。
自分は自分のことを信じているが、、自分が信じている人に対してもそういうことがある。例えば大事な我が子。我が子がいうことは絶対と思っている親はたくさんいると私は思う。私も何度も騙されている。(笑ったり泣いたり)自分が大事に思っている人のことは信じたいものなのだよ。例え、騙されたとしてもね。最後まで信じたいんだよ。
なぜ、事実と違うことを言ってしまうのだろう?
ならば、人はなぜ事実と違ったことを言ってしまうのだろう?
そして、嘘ってなんだ?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
私は、「嘘をつくな!」と言われて育ちました。嘘はやっぱりいけないんですかね?
私は嘘をつくと罪悪感があります。
私はね、場合によって、嘘はアリだと思っています。と言いますか・・・世の中嘘だらけなのかもしれません。(でも証明できるものはありません。あくまでも主観です)
私は、嘘を一括りにはできないと思っています。
自分では事実を見たままに伝えたが(嘘をつくつもりはない)、実際はそうではない可能性もあるということもある。(結果的に嘘になってしまった)
例)男の子が猫をいたずらしているように見え、それを先生に報告した。
実際は、いたずらをしていたのではなく助けていた。結果先生に嘘を伝えていたことになってしまった。その男の子は、いつも乱暴な行動が多かったからそういう先入観で見てしまったのかもしれない。
人の感情が入ると、物事が屈折して見えてしまうのかもしれない。
または、事実の一部が隠れていたりして見えない場合もある。
相手をびっくりさせたくて、実際よりも物事を大きく話してしまうなんてこともある。
例)「○○先生が、ヤバいお店に出入りしていたよ」
実際は、そのお店の近くを歩いているだけだった。とか・・・
誤解・・・
また、
本当のことを話してしまうと、自分の大切なものが壊れてしまうから、それが嫌で嘘をつくこともあるかもしれない。(大切なものや人を守るため)罪を被ったりもするかもしれない。
人を安心させる為。
大丈夫ではないけど、「大丈夫だよ」と言う。
嘘をつく理由は、人の感情が大きく左右しているのではないか?と思うのです。
誰にでもある心の中の問題なのかな?と
事実は必ずしも表に出さないといけないのか?
嘘は見破って、必ずしもオープンにしないといけないのか?
表に出すべき、出さないべきなんて誰が決められるのかな?
人間は嘘をつく生き物なのだと私は思うんだけど
それに、嘘が良いとか悪いとか誰が決められるんだろう?
もちろん、故意的に誰かを貶めたり、傷つけたりするようなことは良くないと思いますが・・・
人は、事実を知りたいから、ニュースや報道などがあるのだと思います。
そして、ニュースや報道を見ている人は、そのまま信じる人が多いのでは?と思います。
でも、もしかしたら、違うこともあるかもしれないって思ったらいけないですかね?
でも、あまり良い気持ちにはならないですね?
疑問文が多いですね笑
私の中で正解がないからですね。
正解、この先もわからないでしょうね。
きっと、これが『怪物』なんだろう?と私は思うからです。
私の中の『怪物』は?
掘り下げはまだまだ続きます