【映画鑑賞記録】『ぼけますから、よろしくお願いします。』
この映画を観て、私なりに感じたことなどを書いていきます
歳を重ねるのは、大変なことばかりじゃない
観終わった後、
心が、なんでこんなにほっこりしているのだろう?
認知症の介護って、
する方もされる方も大変なんじゃないの?
わからなくても伝わる愛がある
85歳のお母さんがアルツハイマー型認知症と診断され、そのお母さんを介護するのは、95歳のお父さん
お父さんは耳が遠いし、足も少し不自由だったりする。腰も曲がっている。
だけれども、今までやったことがなかったりんごの皮剥きや洗濯をお母さんがやっていたような方法でやっていく。裁縫までもやっていく。
今までは台所には決して入らなかったお父さん。
そんなお父さんが料理をするようになったり、裁縫をするようになったり、洗濯をするようになったり。洗濯なんて洗濯機を使えば簡単に済むものを、お母さんの思いをそのまま受け継ぎ、手洗いをし、丁寧にすすいでいく。洗濯物をたたむところまで丁寧にこなす。
「この間なんて3時間もかかったんだよ」とニコニコと話す。大変だなんて一言も言わない。鼻歌を歌いながら、全てはお母さんのため。
お母さんから見えるものとは・・・
お母さんは、自分が今までできていたことができなくなり、わかっていたことがわからなくなり、どうしたらいいもんだかもわからなくなる。
自分は、周りに迷惑をかけてばかりいる。今まで周りに世話を焼いてきたのに、それができなくなった。生きる意味がわからなくなる。足手まとい。邪魔っけだろうよ・・・と。そんな役立たずな自分に嫌気がさす。
私ももし、世の中の役立たずになったら・・・消えて亡くなりたいと思ってしまうかもしれない。同じように思うかもしれない。もし私もお母さんのような状態になったら嫌だろうよ。
でもさ、役に立つってどういうこと?
役に立っているって誰が決めるの?
役に立たなくちゃいけないの?
私にとって、今は亡くなってしまった次男は、生まれる前からいろんな病気を抱えていたけど、そこにいてくれているだけでよかったのです。
目の前にいてくれるだけで、生きているだけで、
それ以上何も望まないよと思っていました。
人は欲があるから、生きているのなら、動いて欲しいとか笑って欲しいとかどんどん欲が出てきちゃうけど
一緒にいるだけで幸せだと思うと、もう本当にそこにいてくれたら
それでもう、本当に幸せだと思うのです
だからさ、もし私がぼけたら、
そのぼけた私に言いたいけど、
役に立てず、辛いかもしれないけど、花がそこに咲いているように、生きているだけでいいんだよっ言ってあげたいなと思う
それで、辛い時は「辛い」って言えばいいさ。我慢はしなくても良い。
そうやって、お互いに言いたいことを言ったり聞いたりして、甘えたり助けたりしながら生きていく。それがやっぱり幸せな姿なんだなぁってそれが人間なんだと思うのです。
生き抜くことの大切さや
命の尊さ(まだまだ全然わからないけど)に触れました
お父さんの笑顔を見ていたら、
細かい理屈はよくわからないけど、でも、それでよいのでは?と思いました。
ぼけたとしても、愛は、身体のうんとうんと内側から出てくるものなのだとも、
お母さんの仕草や目線、言葉からわかりました
自分は役に立ってないと思うかもしれないけど、周りの人から見たらそんな風に捉えていないかもしれないし
お母さんの思いは、ちゃんとお父さんや娘さんに届いていますし、言葉に出さずとも、お父さんの愛は、お母さんに伝わっていますものね
お互いを必要としているのが、よくわかりましたもの
お父さんの優しい笑顔が、ものすごく印象に残る映画でした
最後に
この映画、字幕がないのです
そこが良かった
お母さんやお父さんの姿に集中できますものね
表情観ていれば、何を伝えようとしているのかはわかりますからね
逆に、親切(字幕をつけること)が真実を歪めることがあるかもしれないと思いました
そうそう、この映画、続編があるのです
『ぼけますから、よろしくお願いします。〜おかえりお母さん〜』
近々、近くで上映があるようなので観に行きたいと思います
また、お母さんとお父さんに会えるのが楽しみです〜